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教判論を通して大師の御風格を偲ぶ

 

              小塔院住職  河村 恵雲

 

 先年、弘法大師の千百年の御遠忌に際し、いろいろと、祖

徳奏讃のために記念事業が行われました。記念講演等も、当

時一流の頭悩を動員して各所で催された様子でありましたが

その中の一つに、文学博士谷本富先生の講演が「日本文化史

上に於ける弘法大師」という題で行われ、その記録の本を、

後で求めて読んだことがあります。大変感動したものらしく

今でも悩裡に残って居ります。

 谷本博士は、讃岐の出身で、大師とは同郷だという。特別

な気持も手伝ってか、熱意をもって、大師研究に取り組まれ

造詣が大変に深かったようであります。その一例を挙げます

と、大師の著述に「文鏡秘府論」というのがあります。その

研究のおりの挿話、告白に、是んな立派な文学論は、いくら

大師でも、自分一人だけの着想では、出来ないであろうと、

疑った。何か、ヒントを与えられた種本があって、それを参

考にされて著述されたものではあるまいか、といった学者ら

しい疑問から、中国の古典のうち、八世紀の初め、即ち大師

がおいでになっていた時代までの全部の古典を皆、読んでみ

た。というのですから、私は今更ながら学者というものに畏

敬の念をいだいたものです。

 とにかく、日本文化に与えられた大師の功績の数々を並べ

立てゝ、褒めたゝえられて、最後の締めくくりに大よそ次の

ようなことを言われました。「私共が、日本人の先輩に、弘

法大師のような偉大な人物を持ったということは、何んとま

あ、民族的にも誇らしいことではないか、しかしながら、是

の事実は、私の詭弁のようにも聞こえましょうが、日本人に

取っては限りない恥辱になると思うのであります。」と書い

てあります。何故に、恥辱になるのかなあと、言い廻し方に

興味をひかれて、その理由に耳を傾けると「大師以後千百年

の歴史が流れたが、その史上に於いて宗教界と云わず、文学

芸術界といわず、自分の感じとしては、或は政治、経済をも

ふくめて、文化の全域に亘って、日本文化史上に大師に匹敵

し、更にこれを凌駕するといった人物は一人も居なかった。

遂に、よう出さなかった。これが何んで、日本人に於ける大

なる恥辱にあらずと云えますか」と結んで聴衆に深い感銘を

与えたと速記してあった。

 私は、この讃辞を決して誇張し過ぎたものとは今もって考

えては居りません。その後、折りにふれて、大師の御選述に

接するごとに、是れ、たゞ人にあらず、の感が深まるばかり

であります。

 かんがみれば、大師の宗教は、即身成仏の主張でありまし

た。この父母から受けた生身のまゝで、現世に於て、成仏す

るのだというのがその特色でありました。その主張の御仁が

大師です。現身で、成仏していらせられたことは疑う余地が

ありません。肉身を転ぜずして、無漏身を証得しておわしま

した。たゞ、凡眼では、わからんだけの話でありましょう。

 即身成仏の現証ということに付いては、弘仁四年とかに、

勅によって清涼殿で、諸宗の学僧と法論があった際に、陛下

から、道理はよくわかった、その現証はどうなるのか、現実

に限の前に見たいと、勅問があったので、大師は南面して、

密印を結び、意、三摩地に住し給い、現身に、五智の宝冠を

載かれた、大毘ルシャナの妙色身を現じられて、証明された

と伝えられたことが、大抵の大師伝に伝えられて居ります。

 しかし、この説話は、大師の歿後に出来たもので、作者は

日本東山座禅妙門と称された方(それが誰れであるかは学者

が考証して、名前がわかっている)の「孔雀経音義序」の記

載が一番に古く、続いて三、四の記録が残っているのですが

大師の教学によれば、凡人の世界は、六識、または七識と云

って、普通私共が働かせている心、この心に映じた世界とさ

れ、八識又は九識で、世界を見られるのは、菩薩方で、天台

大師のような、偉い方でも、緊首大師のような、華厳宗の御

祖師でも、九識で観られた世界に、お住みになっている。真

言宗の仏身は、第十識でなければ、見えないことになって居

ります。そうすると「孔雀経音義序」の仏身は、六、七識に

映じたものであることは、明らかだから、秘密仏の影象だと、

いうことを銘記していたゞきたいのであります。

 大師の御書きになったものゝ中に、直接に御自分を、私は

仏陀であるぞ、というような口ぶりの文字は見当りません。

むしろ、極めて謙遜な言葉に、突き当るばかりであります。

たゞ沙門遍照金剛という御自称に、充分その自覚のほどが、

伺える程度のものであります。

 私は、何とか、その辺のことが知りたいものと、探して、

やはり秘蔵宝やくの中巻、第四住心の中に出てくる、十四問

答にある答こそ、一番はっきりした解答のように思います。

 その意は。問者が尋ねて、今の時代に、現に成仏したりし

ている人物が現存するのか、あるなら見せて欲しい。とせま

れば、答えて日く。と老子経の文を引いて、ほんとうに大き

な、というものは、何処に隅みがあるやら、はてがあるやら

わからない。ほんとうの大音は、耳には聞えない。乃至、ほ

んとに完成しているものは、欠けたるが如くだ。大いに満ち

たものは、反って空っぽに見える。玄徳玄同とはこの事だ。

聖人を知るものは、聖人でなくては知られない。仏を知るも

のは、仏でなくてわかるものか。と云う。問者が尋ねる、和

光同塵ということは、昔から云われて聞いている。その通り

だろう。しかし、山の中に宝玉をかくすと、草木も茂るとい

う。峯に剣を収めると、夜、ひかり者があるという。象の足

跡を見たら大きさが想像される。煙を見たら、火のあること

が知られる。それなのに、最高の徳を完備せられた仏ともあ

る方が、いくら和光同塵でも、発見されずに居られようか。

と反駁すると、最後の答えとして、金石や火は、心がないか

ら自然に外部に現われる。しかし、人間は理性がある人格者

だから、本人が、つつみかくせば、他人には絶対にわからぬ

と最後まで、突っぱねてあります。

 また「即身成仏義」の中に、「大空位に住して身秘密を成

ず」とありますが、一先徳の釈によれば、この身秘密とは、

陰形の術のことで、忍術で身を消すような意味が、典拠の元

意らしい。是れまた、先の十四問答と、同じにも味えます。

 私が今、敢えて、こんな説を入れたのは、実は、日蓮聖人

が、先に出した「孔雀経音義序」の文 「面門俄ニ開ケ金色、

びるしやなト成ル云ゝ」を非難して、真言宗は大嘘つきで、

人をたぶらかすもの、面門とは口のことではないか、馬鹿も、

休み休み言え。といった意味の非難が、遺文録にあるので、

大師の末徒として聞きっぱなしでは、すまされぬ。その回答

としたのであります。その他、一念三千の珠を盗んでいると

か、色々ありますが、一もって、知っていたゞきたい。

 更に、大師が、化縁尽きて、承和二年三月二十一日は、高

野山、中院の住房で、御入定あそばされた、あの壮挙にいた

っては、全く仏陀ではなくては出来ないこと、常人では及び

もつかぬ、陀仏の霊用、妙業といわねばなりません。

 「吾れ開眼の後には、必ず方に兜率他天に往生して弥勤慈

尊の御前に侍すべし。五十億余の後には、必ず慈尊と御共に

下生し、祗候して、吾が先跡を問ふべし。亦且つは未だ下ら

ざる間は、徴雲官より見て信否を察すべし、是の時に勤めあ

らば祐を得ん。不信の者は不幸ならん。努力々々後に疎かに

為ること勿れ」 (御通告第十七)大師の奉じられた、密教の

涅槃観は。涅槃とは最後の行きつく、安住のところ。その涅

槃は、単に火を吹き消したような、減無の境地とはしない、

大日経に説かれた「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を

究竟とす」その最後の方便究竟、即ち、生死にも住しない、

涅槃にも住しない。そして宇宙、天地の生命の永久であるの

と共んじて、摂化の業が窮りない、永劫の宇宙生命の活動で

あります。弥勒仏の竜華三会の暁というのは、永劫の比喩で

あります。

 だから大師は、真言密教の教義をそのままに、身をもって

地で、実践窮行あそばされたのであります。教義は即ち法で

ある、ダルマである。教義のまゝの身は、法身であります。

これが、即身成仏の現証というものであります。頭上、五智

の宝冠や、金色の光明に、ひっかゝって、この最尊の法身が

見えないとは、何んとしたことでありましょう。

 かゝる御方の、通された御著述は、釈迦牟尼如来の御説き

遊ばされた、御経に準じなければなりません。正真正銘の凡

愚、下限劣恵の身には、とうてい解る道理がないと、一応は

言えます。僭越の限りであると言えます。

 そうなると、手も足も出ません。沈黙するより外に道があ

りません。しかしこれもまた、何かこだわりがあり、祖意に

反するようにも思えます。

 仏法には、人を敬うは法を敬うことであり、法を敬うは、

人を敬うことであるという道理があります。人法一体にして

別つべからず。

 大師に皈依する人は甚だ多い。しかし、大師の法はと問え

ば答える人が甚だ少ない。これでは、先の皈依も、実は徹底

していないことが感ぜられます。皈依は皈依に違いないが、

浅いと云わねばなりません。

 よし、聖教を冒瀆した罪科によって、無間の地獄に墜ちる

とも、勇気をふるいおこして、真如の月を指し示す指となる

必要があります。これ聖教の紹介を試みようとした以所であ

ります。当らずとも遠からず、必ず聡明な、御信者の方々が

月の光を見出して下さることを信ずるからでありましょう

か。                  (つづく)

 

※昭和4241日発行 宝山寺伝道部発行「歓喜」

用の原稿である。

 

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