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教判論を通じて弘法大師の御風格を偲ぶ

                  小塔院 河村恵雲

        (二)

 

 如何なる宗派でも、くも一宗を開創しょうという場合に

は、自己の奉ずる宗教の信仰や教義が、全仏教の教の中で如

何なる特色があるのか、どんな立場に立って仏法を展望して

いるのか、またその主張が、どんなに正しいもので、総べて

の人が認めなければならぬ妥当な道理は如何様に出来ている

のか、またそこには、如何様に優れて美しい宗教的情操が流

れているのか、等のことを鮮明にかゝげて、対社会的に堂々

と旗を押し建ることになって居ります。

 そこには、宗祖が独自の信念、識見で以て、在来の仏者の

眼とは違った、勝れた識見で全仏教を組織し直して、世界観

なり人生観なりに、新な組織体系を創り出すのでありますか

ら、それは、言わば一大精神王国の樹立ということになりま

しよう。

 このような宗教上の主義を確定することを教相判釈と云い

ます。単に判教とも云い、教判とも云っています。したがっ

て、各宗派の信徒が、自分の属する宗派の教相判釈が、どん

な者であるかを知らないということは、実は有ってはならな

いのであります。浄土真宗の門徒達は、聖道門、浄土門の区

別、自力他力の教理を立派にわきまえて居られます。日蓮宗

の信徒達も、法華一乗の教理は、ちゃんと心得て居られま

す。然るに真言宗の信徒にして、真言宗の教相判釈はどんな

具合ですかと聞いて見て、的確な答を得ることは殆んど無い

のではなかろうかと疑わしいのであります。教相判釈という

ものは、そんな軽々しいものであってはなりません。丁度そ

れは、現代国家が自由主義によって成り立っている国も共産

主義によって成り立っている国もあり、また別の社会理想に

ょって建国することも可能なことでありましようが、若し我

々に、その国の住民となる選択の自由があるとすれば、その

いずれを取つたら良いかということは、とても重大事と思い

ますが、いずれの判教を執ったらよいかということは、精神

王国の住民として同様の重大事に属するのであります。

        (三)

 それでは、我々が択び取っている、信仰の国は、どんな理

想と国是とによって建てられているのでありましょうか。真言

密教の教相なるものは、宗祖弘法大師が、その師、中国の大

阿闇梨恵果和上からの、師資相伝の伝承と、それに御自身の

体験と自証が加わって、卓越した眼で全仏教を二大分された

のであります。自分の奉拝するものは密教であって、其の他

の仏教は顕教であります。顕密二教の判教を建てられたの

であります。「弁顕密二経論」にその趣旨を明せられまし

た。この顕密と二大分したものは大体論で、更に顧教の方を

細分して、九種の住心として、九つに分ち、それに第十番目

に密教を加えて、全仏教を十種の住心に分けて、細分論をな

されたのが「十住心論」と「秘蔵宝(やく)」であります

が、今は繁雑をさけるために、細分論には触れないで大体論

である「顕密二教論」に、専らよることにいたします。

 この二経論によりますと、密教は顕教に異なっている特色

が四つ程あって、それが顕教に勝れている優秀な点というこ

とになって居ります。そこで、これ等の特色を明らかにして

行けば、私共の信仰の対象は如何なる御方かが、はっきり自

覚されて来るし、またどういう具合に信じたらよいのかの、

信仰の味わいも明瞭になって来るでありましよう。その四つ

の特色というのは、

 第一に「法身の説法」ということ。

 第二には「果分の説不」ということ。

 第三には「成仏の遅速」ということ。

 第四には「教益の勝劣」ということ。

 先づ 「法身の説法」とはどんなことか考えて見ましょう。

「弁顕密二経論」 の書き出しに次の如く云ってあります。

「夫れ仏に三身有り、教は則ち二種なり。応化の開説を名け

て顕教と曰う、言は顕略にして機に逗(かな)えり。法仏の

談話、之を密蔵と謂う、言は秘奥にして実説なり」

 仏様には三身があるというのは、通仏教の説でありまして

法身仏と報身仏と応身仏とでありますが、今こゝで応化の説

と云ってあるのは、報身仏と応身とのことゝ心得ていたらよ

いのであります。法仏の談話(かい)と読むのですが、法仏

というのが法身仏のことであります。仏に法報応の三身があ

って、報身仏と応身仏とが人間の根機にかなうように、人間

を対象にして方便応同してお話しになったのが普通の仏教で

ある顕教であって、法身仏が自己の内証の境涯を、人間を対

象にしないで、自らの法楽のために、自内証をありのまゝに

語り出されているのが、「大日経」と「金剛頂経」との、両部

の密教々典だという意味であります。そして条件付きの方便

の教よりも、無条件の真理の丸出しの方が、真実であるから、

当然、文化人としては顕教よりも密教に趣くべきものだとい

うことも云ってありますが、今は法報応の三身を順序として

理解して行きたいものだと思います。

 

        (四)

 釈迦如来は、今から凡そ二千五百年の昔に、印度の国ヒマ

ラヤ山の南麓にあつた、王族の太子としてお生れになり、出

家修行の後、菩提樹下の金剛座で、成道あそばされ、仏陀、

覚者として、人天の大導師として、四十五年の永い御化導の

後、八十歳にして沙羅樹の蔭に肉身を滅して、大涅槃に入ら

れたのでありました。

 人間としての肉身を捨てゝ、不可見相といわれる、法その

まま、真理そのままの身、即ち真如の世界に去って逝かれま

した。

 そこで、その後姿を拝むような心境で釈迦如来を拝むこと

が出来ます。これは人釈迦の信仰と云われているもので、主

として小乗仏教の仏陀観となって居ります。仏陀は自ら如来

と名告られましたが、如来の原語は「タターギヤタ」という

のだそうで、この原語には一語に二つの意味があるとのこ

と。一には如来で、真如より来り生れたる者という意味であ

りましよう。二には如去で、真如え去れる者という意味であ

りましようか。この二つの意味が「タターギヤタ」であると

梵語学者は申されますが、小乗仏教の方々は如去としての如

来を拝んで居るのであります。

 さてこれだけの仏陀観でも、これを他の宗教の神観、特にキ

リスト教に代表される神人差別教と比較してみると、はっき

りとその特色が認識されるのであります。人間である釈迦族

の太子が悟って仏陀になられたのであるから、人と仏との間

には絶対の間隔はない。キリスト教の神と人との間には、理

論的には、造物主と被造物者との絶対の断絶があります。仏

教には仏と人とに絶対の差別がない。そこからは無縁の大悲

という絶対愛、ヒューマニズムが生れて来るのであります。

政治体制が民主々義に徹するようになってみると、その社会

を構成する民衆の精神生活の中軸をなす、我々の宗教思想の

中心が、民主的であり、平等思想が貫いていないと、本物に

なりません。その点私共はしみじみと仏教徒である誇りを

今更ながら痛感するのであります。あの平家物語りに出てく

る白柏手、妓王の今様を思い出します。

 仏もむかしは凡夫なり 我等もついには仏なり

 何れも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ

仏教のあるところ、如何なる宗派でも、平等の真理が珠玉の

ように、燦として常に輝くでありましよう。

 もう一つ、是とは違った見方で、釈迦如来を拝むことが出

来ます。それは仏釈迦の信仰と云われるもので、人釈迦の信

仰の半面をなすものであります。

 それによると、釈迦如来は始めから仏であられたのであ

る。その証拠には、吾々がいくら教の通り守って努力して見

ても、遂に釈迦如来に匹敵するような偉大には成れなかっ

た。これで見ると、釈迦如来は特別なお方としなければなら

ぬ、あれは初めから仏であられたのだ、本からの仏が、真如

の世界から人間の世界に来り、印度に生誕されたお方である

と視るのであります。仏は平等の法を覚り、平等の法に住し

て居らせられるのだが、私共は純乎としては、平等に徹し切

れない。この自己反省が、翻って今更ながら釈迦如来を無上

尊として崇敬させるのでありましょう。本からの仏が人間に

応同して現われ給うた仏身というので、応身仏と名づけられ

ます。それは文字通り如来であります。

 それでは元々からの仏であったとして、その本の仏は何時

頃成道なされたのであるか、また如何なる御方かということ

になります。

 法華経の説によりますと、その仏は、無量無辺百千万億ナ

ユタアソウギ劫という、まあ人間の智恵では、量り知ること

の出来ないような大昔に、仏に成って居られた、そしてそれ

以来、この娑婆世界に何べんも生れて来て、地球上の人類に

結縁して教導して来られたのが釈迦如来であつたというの

で、これが法華経寿量品の久遠実成釈迦牟尼仏であります。

 この仏様は古いには古いが、始めから仏が忽然と現われた

のとは違います。法華経にも云ってあるように「我れ本、菩

薩の道を行じて、成ぜし所」の仏身であります。修行に報い

られて、 因果の道理を践んで出来上った仏身でありますの

で、これを報身仏と申すのであります。

 また大無量寿経の阿弥陀如来に眼を転じて見ましよう。こ

れもまた量り知れない大昔に世自在王仏という仏がいました

とき、ある国王が出家して法蔵菩薩となり、四十八の殊勝の

大願を建てられた。不可思義兆載永劫という永い期間修行な

されて、極楽浄土を荘厳され、今から十劫の昔に成仏された

のであります。

 この阿弥陀仏も因果の道理にしたがって、修行の結果出来

上った仏身であります。所謂、因縁酬答の仏身でありますか

ら報身仏であります。

 こゝに一つの疑問があります。阿弥陀仏の報身仏であるこ

とは異論がないとして、釈迦如来との関係はどうなのか、釈

迦如来とは違った御方のようだから、報身仏ではあっても釈

迦仏の報身仏とは云えまい。答えていわく、釈迦如来が御自

分の悟りの境涯以外のことを、長々と物語りされるはずがあ

りません。それは、自内証の法の理想をば、妙方便を以て、

阿弥陀仏にことよせて表現あそばされたものに相違あります

まい。

果せるかな、親鸞聖人は御和讃の中にのべて

 久遠実成阿弥陀仏 五濁の凡夫をあはれみて

 伽耶城には応現する

とその信念を告白して居られます。

 次に、華厳経の毘慮遮郡仏はどう観たらよかろうか、華厳

という文字の意味は、因位の万行の華で果位を荘厳するとい

うことであります。因の華が咲いた結果が仏という果実であ

りますから、因果を同時に竝べて観て、仏は華で飾り立てら

れておわす御方と観るのであります。華厳経の正しい名前は

「大方広仏華厳経」 でありますから、仏華厳ということにな

ります。華厳経は、海印三昧一時柄(へい)現の法が説いて

あり、永遠の現在に立脚して時間をも超越しているので、大

海の面に宇宙の万象が映るように、過去も現在も未来も、因

の昔も果の現在も、同時に横にべてありますが、因の華に

飾られて、果が、出来上っている。因縁に報いられた仏身に

は間違いありませんから報身仏であります。

 以上で応身仏と報身仏の一応の説明をしたつもりですが、

もう一つ大切な法身仏が残って居ります。何とかして説明

してみたいものと思います。

 

        (五)

 

 カビラ城の主、浄飯大王の太子が、ひそかに王城を逃れ出

て、苦行六年後、菩提樹下に端座冥想して、遂に聖智が現前

し、宇宙の根柢たる神秘の当体そのものに合一して、明星の

東にあらわれるころ、然として大悟され仏陀と成られた。

 その大悟徹底の法をば、弟子達に説明されるに、常に「縁

起の法」を覚って大悟に達したことをお話しになった。この

縁起の法を原理として新しい思想が整えられて、四聖諦(苦

諦、集諦、滅諦、道諦)とか、十二因縁(無明、行、識、名

色、六入、触、受、愛、取、有、生、老)とか、八正道(正

見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)等と

して、法輪を転し化導されたことは、近代の新らしい科学的

な学問的方法で調べてみても、ほゞ確定的になって居りま

す。

 その縁起の真理とは「これあるに縁りてこれあり、これ生

ずるによりてこれ生ず」ということで、ついで裏がえしては

これなきに縁りて 「これなく、これ滅するによりてこれ滅

す」ということになり、「相依性」のもの1見方で世界観を

うち樹てゝあるのが釈迦如来の仏法であります。「条件によ

る生起」という洞察の智恵によって、これを「不安なる人間

の存在」 つまり人間苦に当てはめ、その生起と消滅を吟味す

るのであります。一切のものも、自己そのものも、縁起性な

るが故に自主独立の実体もなく、永遠に不変なものはありま

せん。だから一切のものも、吾も、無我にしで空であり、無常

にして流動しているのであります。そこから当然の結とし

て、世界と人生に対して渇愛し、執着することを放棄する叡

智が生ずるのであります。そこに人生苦の減、解説が得られ

滅諦が現前し、無上正等正覚が得られるのであります。これ

が縁起の真理の大まかながら大体の様相であります。如来の

滅後、この縁起性原理とでも云うべき公式が時と処と人とに

よって応用され発展して、すばらしい展開を観せ、蘭菊の美

を競うて、三論宗の八不中道とか、天台の一念三千とか、華

厳の事々無碍法界とか、遂には密教の六大縁起と云ったよう

な精密にして雄大荘麗な縁起観が展開されて行つたのであり

ますが、どんなに発達し進化しようとも、釈迦如来の縁起性

原理からは一歩もはみ出してはいない。公理に基づく応用問

題に過ぎません。その意味では、進歩もなければ発展もあり

ません。

 釈迦如来は縁起の法を悟って仏と成られたのであるから、

法こそは釈尊の釈尊たる所以で、法こそは仏の本質であり、

真髄であります。だから「法は吾が師なり」と仰せられたこ

ともあるし、「法を見るものは吾れを見るなり」と仰せられ

たこともあります。また「涅槃経」には「肉身は滅しても法

身は不滅だ」とも申されているのであります。

 報身仏もどうして成仏されたかとつきつめれば、法を悟っ

て仏と成られたのだから、法こそは仏教の中心課題であり、

法そのまゝの仏身、即ち法身仏という信仰も早くからあった

のであります。

 しかし印度の仏教も、中国の仏教も法をば滅諦空の理法と

して極めて消極的に理解された傾向が強く、たとえ積極的の

解釈をしても密教に比較すると不徹底を免れなかったのであ

ります。

 弘法大師の見解に依れば、密教以外の仏教、即ち顕教の諸

宗は法身という観念も、信仰も、言葉もありはするが、その

法身の意味合いが無神論的な色彩が強く表に出ていて、法身

とは言っても、神聖にして崇敬なる理法といった観念で、理

法を如実に証悟する智恵と相応してこそ始めて仏陀としての

真面目が発揮されるというもので、報身仏こそは人格的性格

を持つた真の仏陀にふさはしいが、法身そのまゝでは、理智

不二とか、寂照不二とかいう思想は持ってはいるものゝ、や

はり法の言はゞ擬人化であるという、無神論的な伝統思想か

ら脱していない。そういう風格が顕教の特色であると大師は

見ていられるのであります。

 しかるに密教の法身観は徹底してその奥底に達しているの

であります。密教眼からすると、法は単なる理法にとゞまっ

ているのではない。法には本来法爾として自分自らを覚知す

る霊用が備わっている。法を悟るのは、法に外から別な力が

加はるのではない、「法が自ら法を覚る」 「心が白から心を

覚る」(大日経疏)。そういう霊覚体が法の真相なので、法は

それ自らで大覚体である、摩河毘慮遮那仏身であるというこ

とが密教不共の法身観であります。その証拠には顕教では法

身が説法されるという思想がないのでありますが、密教には

説法もなされば神変加持の活動もなさる。法身説法というこ

とが真言密教の第一の特色としてあげられているのは、この

様な意味であります。

 こゝに到って仏教の最棒至深の理趣がはじめて明され、

釈迦牟尼如来の精神を真に発揮したことになるのでありま

す。

 密教の大阿梨耶、偉大なる祖師達が、かゝる境地に達せ

られたことは、人類の精神史に於いて偉大なる功績でありま

す。故金山穆詔(ぼくしょう)僧正は「仏教々理史上に於け

るコペルニクス的展開だ」と申されましたが、真理の発見と

見ても一大発見であつたと思います。

 今日の科学が、原子の構造を究明して着々と実績を示し、こ

れを応用して宇宙旅行をするというところにまでになって、

世こぞって、輝かしい科学の勝利を謳歌しているのであり、

世の知識層もその成果に眩惑されて、宗教的真理の如きは一

顧も与えようとはしない風潮であるが、密教の法身仏の発見

は、人類霊性の更に更に光輝ある勝利でありました。仏陀の

美称、異名に「ジナ」というのがあり、勝者と訳されていま

すが、まことに仏陀は「ジナ」にましますという感を深うす

るのであります。

 私は密教の仏身観に想をいたすごとに、常に高まる興奮を

禁じ得ないのでありますが、表現の才にとぼしく、言葉の足

りないのを憾みといたします。

 以上で仏に法報応の三身ありということだけ一応説明した

ことにします。(つづく)

 

※昭和4281日発行

宝山寺伝導部「歓喜76号」への執筆原稿

 

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