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 法身仏について(三)

 

         奈良市 小塔院 河村恵雲

 

 人間は、本来内に備えている智を研き、徳を練って、向上

の一路をたどらねばいられない性質を持っております。それ

が人間の本性というものであり、その、のぼり詰めた究極位

を理智不二の大覚位と申します。そこに仏陀を私達は仰ぎ観

て来たのでありました。

一切の理法を、御自分の智に摂取し、収めつくされた大覚

者は『一切法に自在を得られる』と申しておられます。一切

の束縛から解放されて、大解脱を得られるということは、深

遠とも荘厳とも申されぬところであります。知の障りである

所知障、情の障りである煩悩障、二つながらの障りが消えて

いるので悩みというものもない。一切の束縛から逃れること

は、自由を求めて止まぬ人間の衷心の願望であります。結局

人間というものは、真実の大解脱地を目指さないでは居られ

ないという本性を備えている、そのような理性的生物であり

ます。これが、わが密教の信仰の窮極となる密厳浄土であり、

その浄土をひらけばビルシヤナ・マンダラであります。

 ここで、大解脱は人間が宿願を果し遂げたところ、満足し

得、至り得た「安穏のところ」であります。

 さて、無上覚を極めたら、頂上である、頂上とはてっぺん

のところである、この上はないから無上菩提である。だが、

形として、こんなことになれば、生命の願望は飽和してしま

う。この無上覚・無上菩提は生きていない。風も波も立たな

い減諦であるが、真実の減というものは、減にもとどまらず、

滅にも滞らざるものこそ、真実の滅諦であります。大乗仏教

は、滅諦の安穏に酔うて永却の虚無に陥ることを極力いまし

めて、小乗といやしめ、これは大乗仏教の理想である涅槃の

法とはちがうと云って居ります。

 世間では、この涅槃という思想をとり違えて、死滅の死寂

のように考え違いをし、仏教をけなしておりますが、わが弘

法大師の御見識による説明を承わりますと、真言密教という

教は、この登りつめた終極点、頂がかえって、出発点となっ

ており、この教は生命の本然のささやきを聞き、深奥の趣を

開き、顕はしている宗教であると仰せられているのでありま

す。古来から、この教の性格を「果上の法門」と云い「本覚

門の宗教」と申されて居りますのは、それであります。

 ここに、仏陀の仏陀たる最上の価値があるわけでありま

す。仏陀の真価、真骨頂は、これから発揮されるのだと言っ

て決して過言ではありません。

 およそ自由とは、生き生きともゆる生命のことで、自分み

ずからが自由であるばかりでなく、他のすべての人々の生命

をも、生々と自由にすることです。若葉青葉は、自由の象徴

です。自己の自由は他己の自由によって、かえって自由が完

成するものであります。

 世間法でも、あのカントなど自由を道徳法においても最上

の要素としており、特に出世間法である仏法に於いては殊更

のことであります。

 そこで、向上門の終極にまで達せられた解脱者は、必然的

に他の人格者を解放して、解脱者たらしめんと働きかけられ

るのであります。それは全く、必然であり、自然な生命の躍

進であります。即ち自の智活動をもつて、他の智活動を促進

しようと、為されるのであります。解脱者は他を解脱せしめ

ることに依ってこそ、真に解脱者となることが出来るのであ

ります。

 これは、自らの同胞に対する同情の活動ですから、慈悲の

活動とでも申しましようか、大悲同感の心情から、止むこと

なくして動く、愛のいとなみであります。こうなると、我々

の理性の領域から、感情の領域へとはいり込んで来るのであ

ります。教としての仏教の救済は自覚です。自覚を与えて救

済せられ、仏の愛は、智恵を与えんとする慈悲であります。

      ○

 さあ、このことは、大変に重大なことであります。仏教の

信仰と、他の宗教の信仰との違い目も、ここから生ずるので

あります。表面では、よく似ているように見える信が、本質

に於て全く違っているのは、このところに由来して居ります

のです。如何なる宗教でも、愛を説かないものはない。宗教

の本質は愛であり、愛によって統一されます。これは宗教と

しての共通点ですが、キリスト教の神の愛と、仏陀の愛(慈

悲)とは、本質的に違っていると言って差支えないのも、実

にこの点に存するのであります。

 仏陀の同胞に対する同情憐愍と申しましても、我々が日常

抱くそれとは違います。純粋なことに於ても、強さに於ても、

天淵の差を認めざるを得ません。我々の同情は、せいぜい、

家族や友人といつた程度に局限されて居り、たまには、外国

の地震等の被害に同情したり、異国の戦過に胸を傷めたりは

するものの、仏陀無縁の大悲と云われる憐愍同情とは、比較

になりません。仏陀の同胞感は、徹底して居ります。一切の

生命は仏陀に発する。この深遠な一体感から来ているからで、

一切の生命が同一生命であることを、体験し、自証していら

せられる。同体の実感に浸り切り、全一の一大生命そのもの

に成り切って − それが三昧と云うのです。 「大日経」

には、理智不二の大覚によって得られた生命体をば、法界体

性三昧と名づけてあります。

 大覚者には、宇宙法界そのままが自分なのだから、法界の

一切の人々、生物の悉くが成仏しないことには、自分だけが

成仏−自由安穏の妙境に浸り切って捏紫の大楽に酔うわけに

はまいりません。

 ここに、自覚が徹底すると自然必然に、覚他の活動が現れ

るのであります。自覚の智が拡張、拡大して他を包む。理智

の仏陀は極まりて慈悲の仏陀となり、理智の仏教はここに、

情意の圏内に入り込んで来るのであります。そして宗教的な

色彩が濃厚になります。

      ○

 なるべく、むつかしい話はよそうと思いながら、こゝまで

来て「大日経」について語らざるを得なくなりました。

 「大日経」とは、具には、「大ビルシヤナ成仏神変加持経」

と申されます。お経というものは、その経題の中に一経の精

神がもれなく、悉く、ふくまれているものとされたものでし

て、今このお経は、表題の如くに、大日如来(大ビルシャナ)

の自証成仏の御体から(成仏)大成神力を十方世界に示現さ

れて、 一切衆生が救済される秘密の趣きを説き覚された経

(神変加持持経)という意味であります。

 「大日経」には「正覚の仏」が、一番最初に出されているの

であります。正覚が出発点となっている。これは、一番最後

にあるべきものが、最初にある。これ本覚門の宗教と云われ

る所以で、尊いお経です。

 その大日如来の自覚内証の心境は『十地(菩薩の一番上の

位)をも超えて、以て、絶々たり(手がとどかぬ)。三身(法

報応の三身)を学んで、離々(かけはなれて) たり』(大日

経開題)とあるように、凡夫としての私共の立場からは秘中

の秘で、ただ仏と仏とのみが知り給うと申される、ところで

あります。

 四六時中、愛憎煩悩の混乱妄情にけがされ、思うこと考え

ると悉く、対立差別の妄見にくらまされた凡夫の心では、と

うてい「仏陀の存在」をも、知ることは出来ません。それは

丁度、日輪が中天にかゝつていても、目がくらめば見えない

ように、雷鳴が地をふるはしていても、耳を閉ざされていた

ら聞えないが如くであるという。

 そこで大慈大悲の如来が、何んとかして仏の存在を知らせ

よう、凡夫の眼前に姿を現はそうと、一切衆生に応同する自

在神力加持三昧というに任せられる。この三昧に任して、そ

の三昧力によって、種々の身相を現し、凡夫の眼にも映じ、

意識にのぼるようにして下さるのであります。

 或は仏身を現じ、菩薩身を現じ、明王身を現じ、また天身

を現じ給うのであります。そして整然と、出揃はれたお姿が

胎蔵界マンダラであります。

 このように、マンダラの印現(姿を映し現はす)を説き悟

らせるのが、この経の出発点となっているのであります。

      ○

 これは、今次大戦のもう一つ前の日露戦争当時、復員軍人

にまつわる物語りでありますが、次の様な話を聞いたことが

あります。

 母親とその息子との、親一人に子一人、それに貧しい暮し

の農家に、とうとう動員令が降って、文字通り身命を賭し

て、戦場に赴いた兵についての哀話であります。

 激しい戦が度々あって、或戦場で遂に、その兵も大負傷し

ました。その時、砲弾が間近にさく烈し、直撃は受けなかっ

たのでしたが、人事不省から気がついた時には、呼々、両眼

とも視えない。その上、何も聞こえない。耳の鼓膜も破れた

のであろう、盲目の上に、聾(ろう) になってしまつたの

です。

 野戦病院で、手当をうけているうち、遂に終戦になった。

日本軍に勝利が帰して、この傷兵にも凱旋の日が来ました。

 戦友と共に船に乗せられ、名営ある凱旋兵として、戦友の

将兵を満載した船が日本海岸のさる港に入港した。港は、歓

迎の声に湧き立っていました。

 桟橋に着いた船から、生還できた勇士がぞくぞくと降りて

来る。一番最後にその兵士が、上官に付き添はれ、腕をとら

れて、たどたどしく降り立ってくるのでした。

 待ちあぐんでいた、この兵の郷里の村長さんの一団は、母

親を連れてこれをとり捲いたが、付き添いの上官の説明によ

って、はじめて眼も視えぬ、耳も聞こえぬことが、その時、

知らされたのでした。

 さあ困った! 母国に凱旋したことは、この兵士にも、分

つたらしいが、今ここに母親が、現に迎えている、この親ひ

とり、子ひとりの胸迫る事実を伝達する方法が、見出せな

い。困った。

 こまり果てゝいたとき、歓迎陣の中に親切な一人のもの知

りの人があって、こう言った。「おふくろさんが抱いてあげ

て、親のお乳をさわらせてあげなさい」なる程というので、

この人の言葉にしたがった。この試みが見事功を奏した。傷

兵は、はじめて母親の迎えに気がついて、親と子は相擁し

て、複雑なこの、歓びと悲みの凱旋に声を揚げて泣いたので

ありました。見る者皆、もらい泣きしたが、目出度く、母と

子の対面は、始めてここに出来たのでありました。

      ○

 真言密教の仏身論では、ビルシヤナ法身に二様の見方があ

ります。一つには自性本地身で、この仏身は法身そのもの、

それ自体の位であります。この仏身は我々凡夫にはとうて

い、うかがい知ることの出来ない位であります。この辺のこ

とは、弘法大師の御言葉でも籍るより外に、それを現はす方

法が私には見出せません。曰わく

 『曼茶の四身は(仏様の自性真身は)九種の心識(天台、

花厳等の高級な菩薩の智恵)も縁ずることを得ず(知ること

が出来ない)。是の故に名言絶えて(言語表現を超えてい

る)機水(これを知る人間の能力)涸(か)れたり』(金剛

頂経開題)

 と申されます。この文章も先の『十地を超えて、以て絶々

たり。三身を挙(はら)んで、離々たり』と同じことで、自

性身の消息を伝えたものでありますが、ここで、私共は、深

く検べてみる必要がありましよう。

 昔の西洋の哲学者が『自分の無知であると知る、それが真

の知である』という意味のことを言って居りますが、真に心

魂に徹して 『名言絶えて機水涸れたり』と言い切り、真実

に、知ることが出来ない、と知ることは、ある意味でそれ以

上のところへ突入しているのでしよう。超え難い一線にぶち

当って、人間の能力の限界を始めて認知し、自己を投げ出し

た時のみ、真実の自己を得る糸口となるのである。自己を超

え、無限絶対者に接触しているのであり、知らないという自

覚に於て、かえつて、更に、秘奥なる何ものかを知ったこと

になると言って誤りない。

 そういう知り方こそ、信を形成する知である。信は否定

という契機をはさんで転回して来る高次元の知でありましよ

う。

 しかし仏様というものは、大智の極限に神秘のベールを被

って、たゞ止り給う御方ではありません。私共が仏を求め慕

う前に、仏の方から、私共を捜し求めていて下さる御方であ

ります。智恵の極みは必ず慈悲に流れ、慈悲の源は智恵に通

じ、智恵と慈悲は、もともと一体のものであるから、智恵の

本地身から立ち上って、大悲の仏身を変身して、加持身を現

じ給うのであります。

 大智の如来仏陀は、未悟(迷い)の衆生を化益せんがため

に、大悲加持三昧に住せられて、その三昧の威神力によって、

我々凡夫の位に応同して、凡眼にも見ることの出来る仏身を

お示現になるのであります。大慈大悲が極まって、愛念が爆

発して、渾身の努力、勇気をもって、可見(眼に見える)の

仏身を奮迅示現ましますというのであります。これが加持身

であります。

 それが即ちマンダラの具体的な諸聖尊でありまして、我々

が日夜に、本尊として安置しまいらせて、仰ぎ、礼拝し、奉

仕する天尊でもあり、明王身でもあり、乃至、菩薩身、仏身

としての尊像にましますのであります。

 我々は加持身を信奉して居ります。それは永遠の母の懐に

象徴されている乳であります。大悲の涙のしずくを見ては、

はっと、み親の大慈、大愛のみ心にふれ、感応するのであり

ます。

      ○

 大智の如来には威神あって、近寄り難いものがあります。

赫々たる太陽の光源を、まともに肉眼でじかに見ることはゆ

るされません。 それは、太陽がないからでは勿論ありませ

ん。また太陽が白からを隠されるはずもありません。ただ人

間の眼が、強烈な光に堪へ得ないからです。眼の能力に限度

があって、しいて見ようとすれば、眼は傷められて、大変な

ことになります。

 私共は、畏れかしこみて、信じ仰ぐばかりであります。

 光が物体に当って、反射による影像で、間接に発光体の存

在を認めるように、如来の方便の大悲の袖に覆はれ、大慈の

胸に抱かれて、本地のみ親である、大日の自性身に接触する

道も通じているのであります。

 私共は、なつかしき慈母として、頼もしき慈父として、み

親としての如来を信じ頼るのであります。

 真言門の信仰は、この二つの門より入るのであります。そ

のことを「大日経」には『菩提心を因とし(仏の正覚の一心

が因種である)。大悲を根とし、(仏の大慈悲心が根本であ

る)。方便を究亮とする(方便の加持身を信じ、三密加持の

行業、即ち信仰生活に入るのを道の究極とする)』と教へら

れて居ります。

 以上のことによって、真言宗の信仰は、どんな風格のもの

か、どうあらねばならぬかも、その輪廓が浮んでくるのであ

りますが、また、あらためて反省してみることにいたしま

す。

 

※昭和438月盛夏号「歓喜79号」宝山寺伝導部

への執筆原稿

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