河村恵雲
明治37年〜昭和54年の人。明治・大正・昭和を生きた真の求道者の姿であった。
その足跡は一部の者にしか知られていない。最近の種田山頭火の研究資料によって
その片鱗がうかがえる。
恵雲と山頭火のつながりは、最初の妻であった女流俳人、河村みゆきの夫として
資料に現れる。また、流浪の真宗詩人として有名な木村無相(1904〜1984)
は同い年の親友としての親交があった。
河村みゆきという女(ひと) 藤岡照房および、『山頭火の謎』藤岡照房著 愛媛新
聞サービスセンター刊2008年の第五章 友 三、河村みゆき に掲載されている。
明治生まれの求道者が、縁を持ち集まり、禅僧の俳人としての山頭火、修行の場を
真言と真宗を数回行き来し、最後にはやはり凡夫は絶対他力にすがるとして真宗を
選んだ木村無相、一灯園・金光・香園寺と渡り、最後に真言密教に救いを求め、叡
尊の真言律宗(西大寺)にたどり着き、その末寺であるこの元興寺小塔院で一生をおえ
た河村恵雲。
恵雲の著作等は人知れずひっそりと小塔院にわずかに残っているようである。
恵雲和尚は「感身学正記」にある「叡尊は身命も怯まず、名聞も求めず、唯だた
ゞ興法利生を願う」を実践した人であった。