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真言律宗元興寺小塔院

小塔院(しょうとういん) 

 文献によれば、奈良時代、聖武天皇の束大寺大仏開眼供養のとき、その導師を

つとめたインド僧、菩提仙那の将来した仏舎利は元興寺の小塔院に置かれていた

ことが記されていますので、小塔院の歴史は、少なくとも西暦七五二年以前にま

でさかのぼることができます。

 このように、飛鳥の地に、日本最初の寺として、蘇我氏により建立された、法

興寺の精神伝統を引き継いだ、新都平城京における、誇り高き大伽藍『元興寺』

の中枢として、小塔院は、日本仏教史上、実に光輝ある存在であるはずでした。

しかし、創建以来、千二百数十年を経たいま、昔日の輪奥の美はすでになく、

寺域もまた、段々に、せばまって、ついに今日の小塔院のすがたとなっています。

 平安時代のなかばには、蘇我氏の氏寺でもある元興寺は荒廃し、小塔院も、当

然、例外ではありません。鎌倉時代に、西大寺一門の手によって復興され、律院

としての小塔院の再出発が始まったのではありましたがはやくも、足利時代に、

壊滅的打撃をこうむることになりました。一揆が起こり、小塔院に火がつけられ

て、伽藍に延焼し、二三の堂字を残して、元興寺は消失したといわれています。

小塔院の寺域のほとんどは民衆が占拠し、以後民家の軒が並ぶところとなります。

幸いにもその西南隅のわずかな地域が残され、かろうじて、小塔院の存続が許

されることとなりました。

 その地に、江戸時代中期ごろ、愛染堂と虚空蔵堂の二つの小堂が、しばらくの

間をおいて建てられ、二百数十年の歳月を経ましたが昭和二三年、愛染堂のほう

は、倒壊し、唯だ一つ残された二間四面の虚空蔵堂が、現在の小塔院本堂であり

ます。この建物も、今や、柱は傾き、瓦はずれ落ちて、トタン屋根というありさ

まです。

 拝観客もほとんど立ち寄ることのない小塔院も、昭和四十年、境内全域が「元

興寺小塔院跡」として、文化庁より史跡の指定をうけましたが、他の観光寺院の

ように、これというほどのものもなく、檀家もない現状では、本堂修復のめども

立っていません。寺院経営という上からは、住職として、苦悩するところであり

ます。しかし、過去の輝かしい栄光にかんがみ、また、幾度の衰微復興の歴史の

中で、求道者として生きぬいてきた歴代の僧尼たちのプライドにかけて、なんと

しても、法灯の護持はなされねばなりません。

 今また、小塔院は、丸はだかの地点にありますが、そのほうが、かえって自由

に広く、明日への仏教を模索することもできる好機にめぐまれているといえるの

かもしれません。

 

小塔院 奈良市西新屋町四五

    TEL0742-23-3374

拝観時間 随時

拝観志納金 随意

交通 国鉄奈良駅より東へ徒歩15分

   近鉄奈良駅より南へ徒歩15分

   バス…市内循環内まわり

   北京終バス停北徒歩5分

住職 河村俊英(かわむら しゅんえい)

 

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